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タイトル画像:チューリップの仲間
チューリップ物語
 
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 チューリップの里を訪ねて −私のオランダ紀行− (1994年)
 


 チューリップは、6世紀末には、トルコで栽培されていたという記録があります。

 その後、周囲の国々にも広がり、16世紀になってトルコからヨーロッパに紹介されました。そのころのヨーロッパの庭園、特にオランダには、 ハーブと果樹しかなかったので、チューリップの伝来は庭園に大きな影響を与えました。

 ヨーロッパにチューリップを紹介したのは、神聖ローマ帝国の大使で植物学者のブスベック(Busbecq)で、彼がチューリップの名付け親であるという説があります。 彼が、トルコ人に「この花はなにか。」と聞いたところ、トルコ人が花の形が頭に巻いている「ターバン(Tulipant)」に似ていると答えたのを花の名前と勘違いしたのがチューリップの名前の由来だと言われています。 ブスベックは、チューリップの球根や種子をウィーンの植物学者クルシウス(Clusius)に送り、クルシウスは、後にオランダのライデン大学教授になってからオランダにおけるチューリップ栽培の普及に努めました。今日のオランダにおけるチューリップ産業は、 クルシウスの業績によるところが大きいとされています。ちなみに、彼の名前は、後ほど紹介するクルシアナという品種のチューリップに残されています。

 17世紀になってチューリップは、イギリスやフランスにも普及し、異常な人気を集めることとなりました。それが、有名な「チューリップ狂時代」です。 フランスでは、たった1個の球根とビール工場とが交換されたという記録もあり、オランダ政府は投機売買を禁止し鎮静化を図ったとのことです。 まさにバルブ(球根)のバブル時代だったのです。この頃高く評価されていた品種は、斑入りのものですが、実はこの斑はウィルスによる病気のものだったのです。 当時の絵画やボタニカルアートにこの斑入りが多く描かれていて、オランダのリッセ市の球根博物館などで見ることができます。

 今から思えば、チューリップ狂時代はとても信じがたいことですが、オランダはヨーロッパ南部に比べて乏しい植物種、そして暗く寒い冬の国なので、 春一番に明るい色の花を付けてくれるチューリップに熱中するのはわかる気がします。

 18世紀になって再びチューリップ狂時代が到来しましたが、その時流行したは、針の様に細い花弁の品種です。

 19世紀になってからは、球根の生産量も増え、庶民の花になりました。

 以上がチューリップ物語ですが、チューリップは、現在も中央アジア、北アフリカに150種自生しています。園芸用に栽培されているのは、 約20の原種、2000品種もありますが、もっと驚くのは、チューリップ狂時代には8000品種もあったということです。 タイムスリップしてチューリップ狂時代の8000品種のチューリップに会えたらどんなに楽しいことか。


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