ホーム > 読み物コーナー > 虫の雑学 > シラミ雑話

シラミ雑話


DDT

 シラミは刺された時の痒さや不快感もさることながら、有史以来、発疹チフスを媒介する大害虫として恐れられてきた。この伝染病は、戦争や飢饉の貧困がもたらすシラミの多発によって爆発的に流行し、とくに戦争の場合にはしばしば戦局まで支配した。史上有名なのはナポレオン一世のロシア遠征の大敗で、60万の大軍の大半が発疹チフスに倒れ、モスクワに到着したのはわずか9万、占領中にもさらに1万がたおれたという。

 日本においては、戦後200万人と予測された発病が幸い大流行にいたらなかったのは、進駐軍によってもたらされた万能殺虫剤DDTの威力によるものであった。周知のように人類の開発したこの初の有機合成殺虫剤は、その後、環境汚染や生物濃縮性が問われ、世界的に使用が禁止されたが、戦後この殺虫剤が、食糧の安定生産と衛生害虫の駆除にはたした役割にははかり知れないものがある。

 今からは隔世の感が深いが、当時こんな歌が小学校で教えられた。

ノンノンノミも シンシンシラミ
  みんないないよ もういない
  おもてで元気に遊べます
  お礼をいいましょDDT DDT

シラミとは

 ヒト専門のシラミには、アタマジラミとコロモジラミと、次回に紹介するケジラミとがある。アタマとコロモは色も形も違い、かつては別種とされていたが、アタマを毛布にたからせて飼うと、やがてコロモに変わることがわかり、今日では同種の別系統として扱われている。ともに成虫は1カ月ほどの寿命の間に300卵内外を生み、幼虫は吸血しながら3週間ほどで育つ。ヒトの体温に守られ、ヒトとともに世界を駆けめぐり、現在、もっとも広い分布圏を持つ昆虫となっている。

 人体でしか生活できないので世界中の人が自前のシラミだけを全部殺せば、この種は絶滅するのだが、絶滅に程遠い現状はこれがいかに難事かを物語っている。

 古来、ノミは王侯美女を選ばず、シラミは下賤な者にしかたからないと伝えられるが、これには一理がある。ノミはみかけによらず進化した高等な昆虫で、幼虫はゴミの中の有機物などを食べて育ち、成虫になってからはじめて寄主の動物に取りついて吸血する。だからだれがノミにたかられても不思議はない。これに対して、シラミははるかに原始的な昆虫で、成虫も幼虫も生涯を人血に依存して生活している。このため、不潔なヒトこそシラミの上客で、そういう生活をしいられた戦時中の学童疎開や、シベリア抑留の思い出は、空腹とともに、シラミをつぶした日々につながることになる。

 平安時代の恋物語も、そんなにロマンチックだったはずがない。業平君も光源氏君も、シラミを抱えての痒い逢瀬だったことであろう。

 蚤(ノミ)のあと、これも白きは美しき(一茶)
   −これが「シラミのあと」では句になるまい。−

 夏衣いまだ虱(シラミ)をとり尽さず(芭蕉)
   −俳聖も旅がちで、なるほどそうであったことであろう。−

リバイバル

 日本では生活の向上にともない、シラミはひさしく研究材料の入手に困るほどの幻の害虫になっていた。ところが1970年代の後半ころから、大都会とその周辺地区の学童を中心に、アタマジラミのリバイバルが大きな問題となってきた。“つくば”もその例外ではない。理由は定かではないが、それらしき原因はいくつかあげられる。まず、DDTをはじめとする有力な駆除剤の規制は、シラミだけでなく農業害虫の世界でも多くの古典害虫の復活を呼んでいる。加えて国際交流の活発化による海外からの持ち込みがある。もうひとつのシラミ(ケジラミ)のことばかり騒がれるが、移るチャンスはアタマやコロモの方がずっと多いはずである。

 長髪の流行もシラミが泣いて喜ぶ条件となっている。シラミを知らない世代が国民の大半を占め、「フケが動いた」と驚愕し、シラミとわかればひたすら隠す主婦が多いことも、流行の一翼を担っていよう。とくに整髪料を用いない長髪で、仲間どうしの接触が多い学童層がねらい撃ちされている。いくら駆除しても集団で行わないとたちまち元の木阿弥になる。ただし、シラミは水に濡れると毛髪にしがみつくので、プールで移ることは少ないようである。

 ちなみに、最近はケジラミを含めて、シラミ類の特効薬が開発されていて、たいていの薬局で入手可能である。「スミスリン・パウダー」というその名を記憶しておいてもソンはない。

雑学

左: コロモジラミ
右: アタマジラミ

日本昆虫図鑑(北隆館,1932)
 シラミほど身近で隠微な害虫は少ない。だからシラミをめぐる東西のよもやま話にはこと欠かない。

 中世のスウェーデンのある都市では、市長の立候補者が円卓を囲んでそれぞれあご髭をのせ、中央にシラミをおき、シラミのたどり着いた髭の持ち主が市長になった。 また、中世ヨーロッパの紳士・淑女のカールした金髪のカツラは、映画でおなじみだが、シラミ退治のために丸坊主にした頭を隠すのが本来の目的であった。 同じく、当時の貴婦人は、体に合わせて衣装を作ったので頻繁に脱ぎ変えることができなかった。そこでシラミに刺された跡を掻くための“孫の手”を持ち歩くことがファッションになった。 スパルタの兵士は、シラミよけのために長髪に油を塗って出陣した。今日のポマードの原形である。日本でも、昔の女性用の櫛の歯の間隔が極端に狭かったのは、 シラミの卵を掻き取るためであった。

 とにかくシラミに刺された時の不快感については異存はないであろうが、こんなご先祖のおおらかさも捨てがたい。

 「わがからだより生まれ出たるしらみなれば さのみ憎むべきものにあらず」(曲亭馬琴)

 蚤虱 こゑたてて鳴く 虫ならば
   我が懐は むさしののはら (一茶)

 虱取る そばではだかで まりをつき(江戸川柳)

 虱など 卒塔婆の上で つぶしてる(同)

 また、「乞食が虱を食うを見たり、虱も多く食えば飢えを支うべし」(寺島静軒)という記録もある。さらには、鎌倉時代の『古今著聞集』にもっとびっくりする話がでている。「さる旅人が京にのぼる途中の宿で、大きなシラミを捕まえ、憎いやつと柱に穴を開けて閉じ込めた。翌年同じ宿に泊まったとき穴を覗いてみると、くだんのシラミはやせはてながらもまだ生きていた。哀れに思い自分の血を吸わせたホトケ心がわざわいし、のちに刺された跡がオデキになってその物好きは死んでしまった」。ヤボな注釈を加えれば、シラミの成虫の寿命はせいぜい1カ月くらいなので、そのシラミはきっと別の旅人が入れ直したものであろう。

 シラミの語源は、「白虫(シラムシ)」が縮まったという説が有力である。

[研究ジャーナル,17巻・11号(1994)]



もくじ  前 へ  次 へ