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酪農で多頭飼育を可能に

〜 高野信雄の通年サイレージ 〜


イラスト

通年サイレージ方式の普及はウシの多頭飼育を可能にした
【絵:後藤 泱子】


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 那須野ヶ原に酪農家を訪ねてみた。経産牛100頭以上の経営で、頭当たり年間乳量も1万キロに及ぶ。だがその経営も、30年ほど前までは15〜20頭、乳量5千キロが限界だったという。 「通年サイレージ方式」の普及が生産性向上をもたらしたのである。

 年間を通じ、牛にサイレージ(発酵粗飼料)を給餌(きゅうじ)する通年サイレージ方式は、昭和46年に高野信雄(たかの のぶお)らによって開発された。 サイレージはいわば牧草の漬物。従来の補助食を主食に替え、年中給与する。<毎朝、青刈りした生草を食わせる>という、それまでの常識を覆す、新たな牛飼い技術の誕生であった。

 高野が通年サイレージを思いついたのは、農林水産省草地試験場(栃木県西那須野町)に転勤した時のことである。北海道生まれで、長年北海道農試で酪農研究に従事した彼の目からみると、 府県の酪農はまるで<ままごと>のようにみえた。平均4ヘクタールほどのせまい飼料畑で夏は青刈り、冬はトウモロコシサイレージを給餌する。不足はあまり良質といえない乾草やイナワラでおぎなう。 労力的にみても、10頭程度が限界だった。

 <これでは効率的な酪農はできない>さっそく高野は近くの酪農家真嶋雄二に彼の構想を伝え、協力をお願いした。通年サイレージは牧草を適期全刈りするので、 毎日少しずつ青刈りするより収量が多い。青刈りは雨天でも休めないが、全刈りなら別の日に刈ればよい。品質も安定し、定量給与ができるので、牛の生理からみても好ましい。 「高野さんの説明は科学的で、素直に理解できた。だからすぐやる気になった」と真嶋は回顧している。

 サイレージづくりには大型の定置式サイロを必要とする。だが最初からそれを整備するのには無理がある。高野は北海道時代に開発したビニール袋のバックサイロを持ち込み、 農家の庭先でサイレージをつくった。溝を掘ってつくるトレンチサイロ、地上に堆積するスタックサイロなども試作した。こうした補助サイロを併用すれば、必要量のサイレージが用意できることを実証したのである。

 通年サイレージはたちまち周辺農家の関心を呼び、昭和48年ごろには那須全域に広がっていった。技術を深めるため、酪農家同士で粗飼料利用研究会を結成したが、 120人もの参加があった。昭和60年ごろにはすでに全国に普及している。酪農先進地の北海道にまで受け入れられたのである。最近の推計では全国主要酪農地帯の95%が通年サイレージに依存しているという。

 通年サイレージはいかにも日本的な技術である。省力的で、狭い耕地での多頭化、乳量向上に適する。昭和50年以降の酪農多頭化は、この技術革新がもたらしたといって過言でない。 このところ粗飼料の国内自給率低迷が問題にされているが、この技術がなければ、さらに低くなったに違いない。

 「開発中の苦労は……」という問いに、「何もありません。いつも楽しく仕事をさせてもらいました」と彼は答えた。いつも農家とともに技術開発を成し遂げてきた高野ならではの一言である。 現在は西那須野で酪農肉牛塾を主催し、酪農家の相談に応じている。
「農業共済新聞」 2001/02/14より転載  (西尾 敏彦)


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