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農家の工夫から生まれた野菜の接ぎ木栽培
70年前にささやかな灯

〜多くの人々がかかわり〜


野菜接ぎ木栽培創始者



 野菜の接ぎ木栽培はいつ誕生したのだろう。樹木の接ぎ木なら古くからあるが、あの小さな野菜の苗を1本1本接ぐなんて。誰が考えついたんだろう。 そこで、早速しらべてみた。

 どうやら昭和2年ころ、スイカの「つる割病」対策として、兵庫県明石郡の農家が工夫したということらしい。もっとも、当時のスイカ産地は千葉と奈良だから、 その辺の誰かだという説もある。昭和6年には、千葉県君津地方で、すでに60ヘクタールも広まっていたというくらいだから。

 当然、各県の試験場も研究をはじめた。とくに、スイカ産地をもつ千葉農試の渡辺誠三や奈良農試の村田寿太郎らの研究が先行した。 彼らによってユウガオ台木が選定され、双葉の苗を用いた平易な接ぎ木技術が開発される。急速に普及したのはそれからである。

キュウリの接ぎ木、クリップを使った呼び接ぎ技術ができて普及した  絵:後藤泱子  ここでおもしろいのは、奈良県添上農学校(現・添上高校、天理市)の立石恆四郎校長の活躍である。試験場にさきがけて、昭和6年にはすでに台木選定の実験成績を発表している。 彼の論文には当時としては珍しく、温室いっぱいに実った接ぎ木スイカの写真が添えられていた。周辺の農家にも積極的に試作を奨励していたらしい。 当時のスイカ産地の活気が伝わってくる。

 スイカ以外の接ぎ木栽培が普及しはじめるのは、昭和30年ころからである。このころになると国内の野菜生産が急激に増える。その分、土壌病害が蔓延し、 回避対策が緊要になってきたからであろう。

 キュウリの接ぎ木は、昭和32年に千葉農試の石橋光治らによってはじめられた。つる割病のほか、定温下の伸長促進、連作対策などにも有効と認められ、 県内に普及していった。全国的に普及したのは、39年に千葉大の藤井健雄によってクリップを使った簡易接ぎ木技術が開発されたころからであろう。

 ナスやメロンの接ぎ木の普及は、昭和30年代も後半になってからである。ナスの場合は、青枯病回避技術として赤ナス台木が開発され、急速に広まっていった。

 平成2年現在、接ぎ木栽培の普及率はスイカが93パーセント、キュウリ72パーセント、ナス50パーセント。果菜類全体では約6割、4.4万ヘクタールに達している。

 最近は土壌病害の対策や低温伸長の促進だけでなく、草勢の維持増進、連作に耐える栽培技術としても注目されている。また、 高齢化と労力不足に対応した接ぎ木ロボットも開発されている。低農薬の技術としてさらにのびるだろう。

 それにしても野菜栽培に大革命を巻き起こした接ぎ木技術の創始者は誰だろう。70年前、彼がともしたささやかな灯が、 今では野菜作の未来を照らすかがり火となり、天をも焦がすいきおいで燃えさかっている。もちろん、ご本人はそれを知る由もないが。

(西尾 敏彦)


「農業共済新聞」 1996年3月27日 より転載


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