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和方薬「孫太郎虫」


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国産の漢方薬

 西洋医学が導入された比較的近年まで、日本の医薬はすべてが動植物に由来する「漢方薬」であった。それも江戸時代のはじめに中国から渡来した『本草綱目』が"バイブル"的な役割を果たし、 これに出ていない国産の種類まですべてこれで無理に同定するようなことが行われた。その結果こうした"和魂漢才"の薬も数多く登場し、日本の本草学は独自の発展を遂げて行く。 大正7年(1918)に農商務省の昆虫学者・三宅恒方によって、はじめて食用・薬用昆虫の全国的なアンケート調査が行われたが、それによれば当時の日本の食用昆虫が55種を数えたのに対し、 薬用昆虫は123種と倍以上に及んでいる。当時までいかに多くの昆虫が薬用として用いられてきたかがわかる。

 そうしたなかにあってわが「孫太郎虫」こそは、これぞ日本が独自に生んだ「漢方薬」ならぬ、昆虫としてはほとんど唯一の「和方薬」であった。孫太郎虫の正体はアミメカゲロウ目のヘビトンボの幼虫で、 成虫がトンボのような翅を持ち、幼虫の頭が扁平でヘビの頭に似ていることがその名の由来である(図1、2)。この幼虫は九州以北の日本各地の河川の清流に棲み、ほかの水生昆虫や小動物を捕食し、 成長すると体長が6センチ内外になる。大型で大あごが発達していて咬まれるとかなり痛いという。この幼虫とその薬用乾物を「孫太郎虫」と称し、黒焼きにして粉末にしたものが子供の疳(かん)の薬として昔から知られていた。 そのほか、戦時中の昭和18年(1943)に日本の薬用昆虫の記録をまとめた梅村甚太郎の『昆虫本草』によれば、「炒って食べれば駆虫剤としても効果があり」、さらに「尚世間にては之を肺病、胃腸薬、 十二指腸虫の疾患にも炙って食はしむ」とある。

図1 ヘビトンボ成虫 図2 同、幼虫(孫太郎虫)
(高井幹夫氏原図)
 孫太郎虫はとくに奥州斎川(現・宮城県白石市斎川)産のものが有名で、ここでは大正8年(1919)に孫太郎虫の850年祭が行われ、そのとき建立された供養碑が斎が川のほとりの田村神社の境内に現存している。 田村神社はかの征夷大将軍・坂上田村麿呂(758-811)を祭神とし、彼が蝦夷討伐の途上でこの川で斎戒沐浴(斎川の地名もこれによる)して平定に成功したのにちなんでこの地に建立されたという。 現在の社殿は明治12年(1879) に再建されたそうであるが、この境内には記念碑のほか、昭和60年(1985)には小さいながらも孫太郎虫の資料館も建てられている(図3,4,5)。

図3 田村神社
(明治12年<1879>再建)
図4 孫太郎虫資料館
(昭和60年<1985>開設)
図5 孫太郎虫供養碑
(大正8年<1919>建立)
図3-5:「あがつままさしのホームページ」
(代表・我妻正志氏)より

図6 売品の孫太郎虫(右)とその容器
(高井幹夫氏原図)
 また、田村神社境内の神社略記によれば、「当祭神のお告げにより、九百年以前より強壮霊虫として全国に知れわたるとある。これと上記の850年祭から換算すれば、 「孫太郎虫」の誕生は平安時代の中期で、それから今日まで延々と薬用に用いられてきたことになる。もちろんこれは日本の薬用昆虫としては群を抜いた記録である。孫太郎虫の販売形態は、 長さ10センチの竹串に5匹ずつ串刺しにしたもの10串、合計50匹を紙箱または桐箱に納めたもので、一箱 2,500円、1匹50円の勘定である(図6)。

 孫太郎虫は薬売りの行商人によって全国的に販売された。この行商人が明治時代まで売り歩いた呼び歌の歌詞を畏友・小西正泰氏が記録している(1980)。
    「奥州はァ 斎川の名産ンー まごたろうむしィー
                     五疳驚風いっさいの妙薬ゥー」
 もちろん売り歩いた薬は孫太郎虫だけではなく、この口上はこのあと、「箱根の名産さんしょうの魚(うお)」と「えぼたのむし(イボタロウムシの白蝋)」と続くが、売薬を規制する法律ができてからは「薬」の語が使えず、 「妙薬」は「薬」を抜いて「妙」だけで唄ったという。
 

「孫太郎虫」の伝承

 孫太郎虫の名前の由来については、すでに収録されている本も多いので簡略にとどめるが、主として次の2説がある。民話としても大変おもしろい。

 (その1〉永保(1081-1083)のころ、丹波国の橋立倉之進という武士に桜戸姫という美しい娘がいた。大柳一角という兵法者が姫に執心したが、姫は父倉之進のめがねに叶い、姫も一目ぼれした奥羽常磐の判官の息子、 要之助と結ばれる。怒った一角は倉之進を暗殺して逃走。若夫婦は敵討ちに出発したが、要之助は一角にあえなく返り討ちになる。妊娠中だった桜戸は逃げのびて斎川村で出産し、孫太郎と命名する。 が、この子は虚弱で大病のため重態になる。桜戸は鎮守の田村神社に必死の断食祈願をし、満願の夜「斎川の小石の間にいる百足のような虫を食べさせよ」との神託を受ける。桜戸は喜んでその虫を捕って食べさせると、 孫太郎はたちまち回復。無事に成人し、めでたく一角を討ち取り、祖父と父の敵をとった。これによってこの虫は孫太郎虫と呼ばれるようになった。

 〈その2〉昔、斎川村に孫右衛門という76才の老百姓あり、老妻と斎川に住む名も知らぬ虫を好んで食していたところ、老妻が懐胎。生まれた孫のような子を孫太郎と名付けた。うわさを聞いた仙台の公儀が孫右衛門からの聞き取りで、 この虫を『本草綱目』で調べたところ「九香虫」であることがわかった。そして医師がこの虫は良薬で、その効果によって老婆が懐妊したと殿に報告した。孫太郎は五疳の症もなく、健やかに育ったので、 以来この虫は孫太郎虫と呼ばれるようになった。
 

なくもながの検証

図7 現役の漢方薬「九香虫」(ツマキクロカメムシ)。
雲南省大理市の漢方薬店で購入
(1998年4月)
 「孫太郎虫」の名前の由来についてのこの伝承は両方とも後世の作り話かも知れないし、あるいはかつてどちらかに似た事実があったのかも知れない。まず前者の「敵討由来説」は、 ずっと後年の文化3年(1806)にこれを元に江戸時代の戯作者・山東京伝が『敵討孫太郎虫』という小説を書いたことで、この伝説は広く巷間に知られることとなった。また、 永保のころという時代背景も孫太郎虫の発祥とよく合っている。ただ、「斎川の百足のような虫を食べさせよ」という神託にはいかにも無理がある。あるいは当時すでにこの虫がこの地方でローカルな民間薬として知られていたのかもしれない。

 一方、後者の「老婆懐胎由来説」については、『本草綱目』で「九香虫」と同定したくだりはとても科学的で良くできている。九香虫はたしかに『本草綱目』に登載の著名な漢方薬で、 しかも中国では現役の薬用昆虫でもある。図7はぼくが雲南省のさる漢方薬店で求めた現代のそれで、種類はツマキクロカメというカメムシである。本種は中国南部に分布し、体長2センチ内外、 生きている時は青黒色を呈する。九香虫にはほかにもアオクサカメなど、数種のカメムシ類が含まれるというが、主流は本種である。煎じて服用したり、他の薬と併用して飲んだりして胃痛や脾臓・腎臓の機能障害および精力減退に効果があるとされる。 ただし、『本草綱目』に登載されている九香虫の記載では、「河中に産する小指の先程の大きさで、水亀に似た青黒色の虫。冬期には石下に蟄伏する」とある。この正体は不明だが、 形は合致しても「河中に産する」は明らかに陸生のカメムシ類とは違う。また、この記載を孫太郎虫に当てはめると、「河中に産する」と「冬期には石下に蟄伏する」の記述は合致するが、 大きさと形態がまるで違う。どうも「九香虫」は時代のどこかで水陸の虫が入れ替わったらしいが、そうだとしても孫太郎虫をこれに当てはめるのは無理なようである。 さらに、孫太郎虫がデビューしたという平安時代中期と『本草綱目』が渡来した江戸時代初期では時代に 500年以上の開きがある。後期高齢者の76才の老百姓が老妻を懐胎させたというのもわが身になぞらえて考えれば作り話くさい。

 こうした詮索に意味があるかどうかはとにかく、どちらかといえば「老婆懐胎由来説」よりも「敵討由来説」の方に歩があるようにぼくには思える。
 

そしていま

 「孫太郎虫」を出荷している斎川村の保科商店のパンフレットには上記の伝承とともに、多種類のアミノ酸類やビタミンなどを豊富に含む孫太郎虫の詳細な分析値が出ていて、少なくとも健康食品とはいえそうである。 しかし、日本で使える医薬品を薬事法で定めた『日本薬局方』に「孫太郎虫」が登載された事は一度もない。これほど高名な疳の薬も薬効となると本当のところはわからない。そういえば、いまをときめく、 「ローヤルゼリー」も「プロポリス」も日本では薬として法的には認められていない。

 ぼくはこの機会にぜひ「孫太郎虫」の現物を入手したいと思い、何軒かの漢方薬店を回ったが、その名前すら知らない店主がほとんどであった。そこで、上記の保科商店に直接問い合わしたところ、 「斎川では頻発する鉄砲水と、改修工事のために山が荒れ、孫太郎虫がまったく捕れなくなり、もう何年も販売できないでいる。あきらめてだれも捕らなくなったので、販売再開の予定もない」との返事であった。 ただ最近、パソコンで検索したところ、金沢市でこれを販売している店が見つかった。値段も跳ね上がり、1串5匹で12串、合計60匹で約8千円、1匹約130円の由である。

 また、これも最近、NHKテレビの短歌の番組で、「虫」の課題歌の入選作に、ある主婦の「疳を起こした子供に孫太郎虫は遠い昔」という主旨の作品があった。選者の先生からとくに孫太郎虫についての説明はなかったが、 いかほどの視聴者にその意味がわかったことであろうか。どうやらいま、孫太郎虫の 900年の歴史が人知れずひそかに終焉の時を迎えているように思える。

[農林水産技術同友会報、第38号(2004)を補筆]



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