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はるかなるスカラベ

オーストラリアで

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カルトゥシュ(王名枠)に入っている
ツタンカーメンの即位名
(ネプケペルラー)の象形文字
(ツタンカーメン王墓出土)
 スカラベとはファーブルの『昆虫記』で名高いタマオシコガネ(糞ころがし)のことで、この甲虫は獣糞をまるめて転がして運ぶ習性がある。

 畜産王国のオーストラリアでは、牛糞による牧草の枯死や家畜吸血性のサシバエなどの発生が大きな問題となっているが、周知のようにこの国の家畜はすべて導入種であるため、その糞を食べる有力な糞虫がなく、糞害が一層深刻になっている。そこで、糞の処理能力の高いスカラベなどの糞虫をほかの国から導入するこころみが近年活発になされ、南アフリカに研究拠点を設立するなど、探索に力をそそいだ結果、一部の有望な糞虫の定着と利用に成功した。しかし、めっぽう広い国土全域へのこの技術の適用となると、まだこれからの問題である。このこころみは同様の悩みをかかえる日本やアメリカなどでも注目され、糞虫は新たな昆虫資源として脚光を浴びつつある。

 こうした話は、情報源としてふさわしく思えるが、ここに紹介するのは、もう少し役立たずな話である。


古代エジプトで

 じつは、スカラベが脚光をあびたことが過去の歴史にもあった。

 古代エジプト人は、糞玉を転がすスカラベをみて、日輪の回転を司るケペラ神の化身とみなした。世界的にも神格をあたえられた昆虫は珍しいが、スカラベこそはその最初の昆虫であった。

 かくしてエジプトでは、スカラベを創造・復活・不死のシンボルとしてひたすらあがめ、4千年も前からさかんにスカラベの護符や装飾品を飾った。そしてそれらはエジプトの各地からおびただしく出土し、世界中の博物館を潤している。

 エジプト王朝は前4千年ころに端を発し、前30年、クレオパトラ女王をもって幕を閉じるまで、北アフリカの一角に長く繁栄をきわめた。 とくに、第18王朝(前1567−1304)のアメンホテプ3世は、自分の事跡を彫った記念スカラベを多数発行し、カルナク神殿のそばには、花崗岩で創った巨大なスカラベを今日に残した。 そしてその子のアメンホテプ4世と美女のほまれ高いネフェルティティ王妃は、当時さかんだったアメン信仰をすてて、太陽崇拝のアテン信仰に傾倒し、 世界最初の一神教に宗教改革を行った。このことでアメン祭司団と深刻な対立をよぶことになるが、それはさておき、その化身たるスカラベの格も大いにあがったことであろう。 やがて、王位はその弟の第18王朝最後のツタンカーメンに引き継がれるが、彼は祭司団と妥協したものの、自分の即位名の一部にケペル(スカラベ)を用いたことによって、これまたやたらにスカラベを創った。


創られたスカラベ


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ツタンカーメンの即位名を
表象した護符スカラベ
(国立エジプト博物館蔵)
 わずか18才で謎の死をとげたツタンカーメンは、その王としての事跡よりも、1922年にハワード・カーターによって王墓が無傷で発見されたことで、もっとも高名な王となった。が、彼は昆虫学上にも二つのささやかな貢献を残した。

 ひとつは、遺物の中から、世界的な食品害虫のジンサンシバンムシの死体が発見されたことである。今日、凡世界的に分布する食品害虫の多くは原産地不明のものが多いが、ジンサンシバンムシはこれによって原産地がほぼ特定できた。この時代にはこうした食品害虫が原産地を踏みだすための条件はなかった。漢の武帝が西域に手を伸ばし、シルクロードがおぼろげに姿をあらわすまでには、さらに千年以上の歳月が必要であった。

 もうひとつが、“スカラベ”である。エジプトの初期のスカラベのモデルは、もっぱら普通にみられるタマオシコガネで、後にこの故事にちなんで聖なるスカラベ(ヒジリタマオシコガネ)とよばれるようになった。 しかし18王朝のころになると、糞玉を転がさない大型の別の仲間の糞虫まで創られるようになり、しかもそれらは属や種の特長をとらえたものが多く、 当時のエジプトの糞虫相の一端を今日に伝えている。

 巨大なモニュメントを別にすれば、“スカラベ”の大きさは1〜12cmほどである。その材質は多彩で、黒花崗岩、閃緑石、黒曜石、水晶、トルコ石、碧玉、 孔雀石などの硬質の石や貴石から、ときには金や銀まで用いられた。

 スカラベは必ずしも王の専用ではなく、役人や僧侶もこれを創った。とくに、ハヤブサの翼をあしらった“護符スカラベ”を身につけることは一般人にまで普及した。 それは心臓の役をになうと考えられ、死者の心臓と置き換える儀式まであった。ミイラとともに出土する例が多いのもそのためである。また、スカラベはオスしかいないと信じられ、 オス=武人の再生の象徴として、兵士たちにスカラベ型の指輪をはめることが流行した。そしてこの習俗は古代ローマの兵士にも伝承され、長い命脈を保った(小西;1985)。


レプリカ

 ぼくはもう何年も前から昆虫採集をしなくなった。その経緯は別項の「虫のオブジェ」の冒頭に述べたが、やはりぼくのような虫マニアの性癖として何か集めていなければ落ち着かない部分がある。そこで始めたのが殺生を伴わない虫のオブジェの収集である。集め出してみればこれはこれで奥の深いところもあり、本人にとってはなかなかおもしろい。そういう意味で、エジプトのスカラベこそはおそらく世界最古の虫のオブジェで、とりわけぼくには興味深い。

 エジプトには、古代の墓地の上にそのまま盗掘専門の部落ができている場所があり、その下は縦横にトンネルが掘られているという。だから見る目さえあれば、土産物のなかにも本物の「スカラベ」が混ざっている可能性がないわけではない。しかし、ぼくは本物とのふれこみで買ってきたという土産物で、本物とおぼしきそれはまだ見たことがない。ましてやぼくが持っている数十個の「スカラベ」は、エジプト展で必ず売っていて、最初からレプリカとわかっている安手のものばかりである。

スカラベの護符のレプリカ
(宮崎昌久氏のルクソールみやげ)

 ところが最近、農業環境技術研究所の虫仲間の服部伊楚子さんと宮崎昌久氏から、本場ルクソールで入手したスカラベをあいついでいただいた。もちろんそれらもレプリカには違いないが、大英博物館でたくさんの実物を見て“目の肥えた”ぼくをして本物と見紛うほどのできであった。このうち服部伊楚子さん経由のものは、別項の「虫のオブジェ」No.18に紹介したのでここでは宮崎氏からのそれを紹介しておく。だいたい本物と違い、レプリカは柔らかいロウ石(滑石)製のものが多い。だから落として割れればそれはレプリカである。宮崎氏のスカラベは落としても割れないが、レプリカとわかるのは、こびりついた土がどうもコーヒーの粉らしいからである。しかし、真贋は気分の問題である。ぼくが死んだらコレクションは某博物館が引き取ってくれることになっているが、スカラベのひとつくらいは一緒に埋めてもらおうと思っている。2千年の後にそれが発見され、レプリカが本物に昇格することを夢見て。

[研究ジャーナル,18巻・11号(1995)]



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