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カマキリの神話


 カマキリはカマ状の前脚をはじめ、その特異な形態が昔から人びとに強い印象を与えてきた。身のほど知らずのたとえとして「蟷螂(とうろう)の斧」ということわざのあるほど、 日本でもカマキリは虫として破格の知名度を持っている。また、カマキリが獲物をねらうとき、胸の前でカマをそろえて静止する独特のスタイルは、 洋の東西を問わず“祈り”を連想させた。日本ではカマキリを「おがみ虫」という方言で呼ぶ地方が多く、英名でも「Praying mantis(祈り虫)」と呼んでいる。 アフリカを初め、カマキリは多くの地方で民話や伝説の中に登場しているが、そのおおかたの役どころは“善玉”の扱いである。さらに近代では、 有力な捕食性の天敵として農業関係者からも暖かい目で見られている。

 しかし、この虫ほど毀誉褒貶の激しい虫も珍しい。そのいっぽうでカマキリには雌が交尾中に雄を食い殺すという悪いイメージがある。この行動は古くから観察例が多く、 頭を食われた雄がそのまま交尾を続行することもよく知られている。このため、カマキリの雌は、とりわけ日本では毒婦の代名詞となり、 「かまきり夫人」という怪しげな映画まで作られた。

 カマキリは動くものは何でも餌とみなす。これが同種の雄であろうとしばしば雌の餌食にされる。雌はまず雄の前胸と頭を食うが、頭を失った雄の腹部は勝手に動き、 初期の目的通りに交尾をはたす。雄は引き続き雌に食われ続け、最後には生殖器のある尾端だけの存在になってしまう。それでもなお雄の性的機能は失われず、 その形で交尾は数時間にわたって続けられる。

 カマキリのこうした交尾行動には、これまでさまざまな解釈が与えられてきた。一般的なのは「雄は雌に食われることで卵の栄養となり、 種族の繁栄に貢献している」という説明であるが、雌の腹の中の卵は、交尾時に十分成熟しているのでこの仮説には説得力はない。また、 「頭がなくなると雄は性欲が昂進し、雄にとっても悪くない」という説まである。

 実際に雄が雌に接近するのは命がけである。雌をみつけた雄は、ただちに不動の姿勢をとる。さいわいに雌が気がつかないと少し接近し、 気付かれればすぐに不動の姿勢にもどる。このとき、脚を上げていたら、その不安定な姿勢のまま動かなくなる。こうして、雄は動と静を繰り返して一寸刻みに雌に近づく。 まさに「ダルマさんが転んだ」の遊びと同じである。こんな臆病な雄には、とても喜んで食われるなどという風情はない。また、雄には何回も交尾できる能力があるのに、 最初の交尾で食われてしまっては、自分の遺伝子を多く残そうとする原則にも反する。
オオカマキリ

 友人の琉球大学の岩橋 統氏が最近ハラビロカマキリで交尾行動を観察しているが、それによると雌の雄食いの“常識”はかなり修正が必要なようである。まず、雌は腹を曲げる特殊な姿勢をとり、これによって雄が行動をおこし、このときお互いに性フェロモンを放出しているらしいことや、雄からの一方的なプロポーズではなく、雌からもさまざまな反応があることがわかった。また、雄の動と静の繰り返しはそのとおりだが、それほど雌を恐れる一方で、止まっている枝を揺すったりして自分の存在をアピールし、雌も雄の接近を十分感知している。そしてやがて、両者はごく近距離でお互いに向かい合って静止し、このにらみ合いはときに数時間におよぶ。

 このあと、どちらかが先に行動をおこすのだが、19回の観察例のうち、不明の7例を除き、雌が先に動いた8例はすべて雄が食われてしまった。しかし、いずれも雄は食われながら交尾をはたしたという。雄が先に動いた4例は、雌の背中に飛び乗って、相手の首をカマ(前脚)でしっかりはさみくわれないための防備をしたうえで交尾をはたした。交尾はじつに4時間にもおよんだが、交尾を終わった雄は雌からパッと飛び離れて逃げてしまったそうである。少なくとも雄にとって交尾は必ずしも寿命の終わりを意味するものではなさそうである。

 雄の“無事な交尾”は野外でも観察例が多い。交尾は夜、暗黒下でフェロモンを頼りに雄は一瞬のスキをとらえて敢行し、終了後速やかに生還するのがマットウなやり方と思われる。上記の閉鎖環境下での観察例も、野外なら生還する雄の方が多いことであろう。雄食いの話はむしろ“神話”と呼んだ方がよさそうである。しかし、前述の「断頭による雄の性欲昂進」は、あながちウソともいいがたい。実験的に雄の頭を切ると、体はそれと連動して交尾行動をおこす。

 カマキリの雌は、おそらくはフェロモンで同種の雄を認知できるが、それが動いていれば餌と区別できない。だから交尾の際に雄が雌に食われる“事故”がおこる。これに対して雄の方は始終雌を雌として認知しているため、雄による雌食いはおこらない。不幸にも雌につかまり、まず頭を食われると、その段階でただちに雄の交尾行動が誘発されるのは、雄が絶対絶命に際し、最後の1滴を使って自分の遺伝子を残そうとする適応現象なのであろう。なお、この場合でも雌の協力がなければ交尾は成立しないが、岩橋氏は、断頭の非常時に雄から発せられるなんらかの科学的刺激が存在し、これが雌の交尾行動をうながすと推定している。

 ちなみに、雄食いが雌にとって餌との勘違いとしても、交尾しながらメシを食うその行動についてはとかくの意見もあろう。しかし、昆虫類は人類とはまったく別な進化の道筋をたどって今日がある。そうした意見はカマキリが発言してくれない限り何の意味もないのだ。

[研究ジャーナル,17巻・9号(1994)]



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