Vol.7 No.5
【特 集】 未来を切り拓く先端的な生命科学への挑戦


遺伝子発現の理解と制御のための
「ヌクレオーム」研究とエピゲノム編集
東京工業大学 科学技術創成研究院 細胞制御工学研究センター
    木村 宏・佐藤 優子
 動植物の個体を構成する細胞はすべて同じゲノム配列を持っているが,組織や器官によって細胞の形や性質は異なる。これは,それぞれの細胞で発現する遺伝子が異なるからである。遺伝子発現の制御機構の理解は,人為的に任意の細胞を誘導する技術の開発に道を拓く。遺伝子の転写は,DNAやヒストンの化学修飾から細胞核内でのゲノム高次構造まで様々な階層で制御されており,「ヌクレオーム」研究によりそれらを統合的に理解しようという機運が高まっている。また,ゲノムを操作することなく遺伝子発現を制御できる「エピゲノム編集」技術の開発も進んでいる。
(キーワード:遺伝子発現,クロマチン,ヌクレオーム,エピゲノム編集)
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ゲノム編集酵素の改良・改変による
植物ゲノム編集技術の発展
農研機構 生物機能利用研究部門    根岸 克弥・土岐 精一
 ゲノム編集ツールとして広く普及しているCRISPR/Casシステムでは,Casタンパク質がDNAを認識するために特定の配列(PAM配列)を必要とし,PAM配列が近傍にないDNA領域には変異を導入できないという制約があった。しかし,様々な生物種由来のゲノム編集酵素を利用すること,さらにゲノム編集酵素の立体構造を改変することで,PAM配列の制約を緩和する技術の開発が進んでいる。また,DNA二本鎖切断を利用した従来の変異導入技術では,目的遺伝子の機能欠損以外の改変は困難であった。これに対して,近年では塩基置換型のゲノム編集酵素の利用など,塩基置換による遺伝子の機能改変を可能にするゲノム編集技術が複数登場した。本稿では,これらの技術を組み合わせることで,従来の技術よりも適用範囲を広げた植物のゲノム編集技術について紹介する。
(キーワード:ゲノム編集技術,CRISPR/Cas,Cas9,PAM,塩基編集)
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ALSVベクターを利用した高速開花による
果樹・野菜・花きの新育種技術
岩手大学 次世代アグリイノベーション研究センター
    山岸 紀子・吉川 信幸
 リンゴ小球形潜在ウイルス(ALSV)ベクターは,日本原産の植物ウイルスを基に構築されたウイルスベクターである。ALSVは人為的な接種で様々な植物種に感染し,茎頂分裂組織を含む植物体の全身に広がるが,ほとんど病徴は引き起こさない。例えば,植物の花成ホルモン’フロリゲン’遺伝子(FT)を発現するALSVベクターを植物に感染させると花芽分化を誘導し,播種してから開花までの期間(幼若期間)を大幅に短縮することができる。本稿ではALSVベクターによる高速開花技術について解説するとともに,本技術のリンドウ新品種育成への利用について紹介する。
(キーワード:ALSVベクター,果樹,野菜,花き,リンドウ,高速開花,世代促進)
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DNA塩基書き換えによる切らないゲノム編集 Target-AID
神戸大学 先端バイオ工学研究センター    西田 敬二
 ゲノム編集技術は,細胞内の狙ったDNA配列を高効率に改変できる技術であり,これまで遺伝子改変効率が悪かった高等生物にも適用できるため,医学から農業も含めた生命科学全域において革命的なツールとして急速に利用が広がっている。私たちが新たに開発した塩基編集技術Target−AIDは,一般的なDNAを切断するヌクレアーゼ型ゲノム編集に代えて脱アミノ化反応を行うデアミナーゼを用いることにより,直接DNA塩基を書き換えることが出来る。その編集精度の高さと毒性の低さから従来型ゲノム編集を補完する様々な応用性が期待される。
(キーワード:切らないゲノム編集,CRISPR,Base editing,塩基編集,Target−AID)
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バイオテクノロジーを用いた青いキクの開発
農研機構 野菜花き研究部門    野田 尚信
 世界の三大切り花の一つであるキクに,青の花色形質を持たせる技術の確立に成功した。花色を担うアントシアニンの生合成酵素である,フラボノイド3′,5′−ヒドロキシラーゼとアントシアニン3′,5′−グ ルコシルトランスフェラーゼそれぞれをコードする2つの遺伝子を導入し,生合成経路を改変した。花弁に含まれるアントシアニンの基本骨格をデルフィニジンにし,さらにデルフィニジンのB環水酸基2カ所をグルコシル化 した。これにより,花弁に内在するフラボン配糖体との分子間コピグメンテーションが引き起こされ,青色を発色した。キク野生種への青色化に用いた遺伝子移入リスクを低減するために,青色かつ不稔のキク作出に向 けて研究を進めている。
(キーワード:花き,花色,アントシアニン,遺伝子組換え,不稔化)
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始原生殖細胞を用いたニワトリゲノム編集技術の確立と
産卵鶏への応用
コスモ・バイオ株式会社    岩瀬 祥平
産業技術総合研究所 バイオメディカル研究部門    大石 勲
 ニワトリの遺伝子操作は品種改良をはじめ様々な利用が期待されるが,その技術は他の生物種に比べ大きく遅れている。筆者らは始原生殖細胞を用いることでニワトリゲノム編集を実現し,世界で初めて卵白内に有用組換えタンパク質(ヒトインターフェロンβ)を大量生産する遺伝子ノックインニワトリや卵白の強いアレルゲンであるオボムコイドを欠損させたノックアウトニワトリを作製した。これらの技術は従来の養鶏産業にとどまらない新たな産業を創出する可能性がある。
(キーワード:ニワトリ,鶏卵,ゲノム編集,組換えタンパク質,生物工場)
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次世代構造材料としての産業化が期待されるミノムシの糸
農研機構 生物機能利用研究部門    吉岡 太陽・亀田 恒徳
興和株式会社 興和先端科学研究所    浅沼 章宗
 クモの糸の力学特性を凌駕する新たなシルク「ミノムシの糸」の次世代構造材料としての可能性を見出し,ミノムシから糸を安定的に採集することに初めて成功した。優れた力学特性の秘密を科学的に解明し,ミノムシの糸はその高い秩序性階層構造故に「強いべくして強いのだ」ということを示した。ミノムシの虫としての性質には大量継代飼育に適した側面が多く見出されており,近い将来,ミノムシの糸を用いた構造材料の産業化が現実のものになると期待される。
(キーワード:ミノムシ,シルク,タフネス,構造材料,産業利用シルク,スパイダーシルク)
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