Vol.6 No.5
【特 集】 農林水産業・食品産業科学技術研究推進事業の研究成果―基盤技術編―


コメ産業の国際化を狙った新規ハイブリッドライス育種基盤の開発
東北大学大学院    鳥山 欽哉
 ハイブリッドライス(一代雑種イネ)は,通常の品種と比較して15〜30%の収量増が期待され,その栽培面積は中国では58%,世界全体では13%を占めている。ハイブリッドライスの育種には,ミトコンドリアが原因で花粉が死ぬ雄性不稔系統と花粉発育を正常化させる稔性回復系統が使われ,両者の交雑で得られる子供がハイブリッド種子である。本研究では複数の野生イネに由来する細胞質雄性不稔系統および稔性回復系統を材料として,それぞれのミトコンドリアゲノムに存在する雄性不稔原因遺伝子の特定,雄性不稔性発現および稔性回復の機構に関する分子基盤を明らかにし,コメ産業の国際化を狙った新規ハイブリッドライス育種基盤を開発した。
(キーワード:育種基盤,イネ,細胞質雄性不稔性,種苗産業,稔性回復遺伝子,ハイブリッド)
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生分解性農業用マルチ,使い終わったらすぐに分解する酵素剤の開発を目指して
農業環境技術研究所     北本 宏子・小板橋 基夫・渡部 貴志・
山下 結香・鈴木 健・鎗水 透
産業技術総合研究所 機能科学研究部門
    森田 友岳・佐藤 俊・福岡 徳馬・
雜賀 あずさ
産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門
    小池 英明
 生分解性プラスチック(生プラ)は,物理化学的作用と生物の酵素による作用で分解される。プラスチック廃棄物の量を減らすために開発された,環境に優しい原料である。生分解性プラスチック製マルチフィルム(生プラマルチ)は,使用後畑の土に鋤き込めば完全に分解されるため,回収する必要が無い省力化資材でもある。しかし,作物を栽培する環境は様々であるため,使い手が期待したほど,使用済みマルチが分解されない場合もある。使用済みマルチは,風で飛散しないように速やかに鋤き込む必要があるため,使い手がマルチに酵素を処理することで,劣化を速め,鋤き込みしやすくする技術開発を目指し,研究を進めている。
(キーワード:生分解性プラスチック,農業用マルチフィルム,糸状菌,酵母,酵素)
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パワー・オブ・ウイルスベクター:農作物と園芸作物の遺伝子サイレンシング(VIGS)と開花促進(VIF)
岩手大学    吉川 信幸
岩手大学 次世代アグリイノベーションセンター    山岸 紀子
 本稿で紹介するリンゴ小球形潜在ウイルス(ALSV)ベクターは,リンゴ樹から分離されたウイルスを基に作出された日本独自の植物ウイルスベクターである。ALSVは広い範囲の植物種に無病徴感染し,感染植物の全身に広がる。そのため標的遺伝子を連結したALSVベクタ―を感染させることで,全身に均一な遺伝子サイレンシングを誘導し,果樹類を含めた各種植物において標的遺伝子の機能解析に利用できる。さらに,フロリゲン(FT)遺伝子を発現するALSVベクタ―を利用することで,リンゴなどの果樹類を発芽後数カ月で開花させるなど,幼若期間の長い園芸作物や農作物の世代時間を大幅に短縮でき,育種の効率化に有効なツールである。
(キーワード:リンゴ小球形潜在ウイルス,ウイルスベクター,遺伝子機能解析,開花促進)
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デュアル抵抗性タンパク質システムによる革新的作物保護技術の応用技術開発
岡山県農林水産総合センター 生物科学研究所    鳴坂 義弘
 病害による作物生産量の損失は甚大であり,植物が本来備えている病気に対する抵抗力を活用した病害防除技術の開発が求められている。植物は病気から身を守るため,病原体が放出する分泌タンパク質(Avrエフェクター)を抵抗性タンパク質により直接的または間接的に認識して病原体の存在を感知し,病原体に対する抵抗性を発揮している。私たちは,"2つの異なる抵抗性タンパク質による病原体の認識機構(デュアル抵抗性タンパク質システム)"を発見し,これを用いた病害抵抗性作物の分子育種技術の構築に成功した。さらに,2つの異なる抵抗性遺伝子を活性化し,作物に病害抵抗性を付与する低分子化合物を発見した。本化合物を活用して新たな病害虫管理技術の開発が期待できる。
(キーワード:抵抗性遺伝子,病害防除,炭疽病,病害抵抗性,エフェクター)
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カイコ性決定遺伝子の同定とチョウ目昆虫における性操作技術の開発
東京大学大学院    勝間 進
 カイコは絹糸生産に用いられてきた農業生物である。一方,カイコはチョウ目昆虫(チョウやガの仲間)で最初に全ゲノム配列が決定された昆虫であり,チョウ目昆虫のモデルとしても重要な位置を占めている。昆虫の性を人為的に制御することは,有用物質の生産や害虫防除法の開発において必須であると考えられるが,チョウ目昆虫における性決定カスケードは,最近まで未解明であった。私たちは,2014年にカイコの性決定カスケードの最上流因子を同定し,その知見をもとにカイコの性を人為的に操作することに成功した。本稿では,私たちの研究背景と現状,そして展望について解説する。
(キーワード:カイコ,性決定遺伝子,性操作,遺伝子組換えカイコ,共生細菌)
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牛難治性疾病に対するバイオ医療品の創出
北海道大学大学院    今内 覚
 獣医療領域において慢性感染症や腫瘍などの難治性疾病は大きな問題となっており,効果的な予防法・治療法がないものもいまだ数多く存在する。これらの疾病では,免疫チェックポイント分子と呼ばれる免疫反応を負に制御する分子群の発現によって宿主免疫細胞の疲弊化が起こり,病原体の排除が困難となっている場合がある。本研究では,生産性低下の原因であるウシの難治性慢性疾患に対する新規予防法・治療法の開発を目指し,免疫チェックポイント分子について研究を行った。開発されたバイオ医薬品は今後,新たな疾病制御法として応用が期待される。
(キーワード:免疫チェックポイント,免疫疲弊化,PD-1,ウシ,難治性疾病)
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カキ殻加工固形物「ケアシェル」を用いた潮間帯でのマガキ天然採苗技術
水産研究・教育機構 増養殖研究所     長谷川 夏樹
水産研究・教育機構 瀬戸内海区水産研究所
    日向野 純也
三重県水産研究所
    栗山 功・土橋 靖史
鳥羽磯部漁協浦村アサリ研究会
    浅尾 大輔・木村 勲・山本 善幸・
中村 和馬
ケアシェル株式会社
    山口 恵馬
 日本のマガキ養殖は,宮城県や広島県などの大産地で天然採苗によって確保される種苗(稚貝)が広く活用されてきたが,震災や採苗不調の頻発によって,種苗不足や価格高騰が生じている。そこで,新たな採苗技術としてカキ殻加工固形物「ケアシェル」を用いた潮間帯でのマガキ採苗技術の開発を行った。本採苗技術は,簡単・低コストな技術であり,大産地からの種苗供給に頼ってきた中小産地における自前での天然採苗"地場採苗"に活用できるため,種苗供給の多重化・補完によって日本のマガキ養殖生産の安定化に貢献することが期待される。
(キーワード:マガキ,天然採苗,地場採苗,潮間帯,シングルシード)
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健康をサポートするオメガ3脂肪酸をとどける,理解する,発信する
京都大学大学院    小川 順
 EPA,DHAに代表されるオメガ3脂肪酸に多様な生理機能や有効性が報告され,健康維持に欠かせない栄養素として認知されつつある。現在,魚油が主な天然供給源となっているが,今後の需要を満たすために,油糧微生物・藻類など,安定供給が期待できるリソースの開発が進められている。また,体内でオメガ3脂肪酸から生じる多様な代謝産物の分析に関しても大きな進展が見られ,腸内細菌代謝の関与や,新規代謝物の新たな生理機能が解明されるとともに,見いだされた新規機能性脂肪酸の生産法開発が進められている。
(キーワード:オメガ3脂肪酸,EPA,DHA,油糧微生物,腸内細菌)
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酸化しないオメガ3高度不飽和脂肪酸素材の開発
北海道大学大学院水産科学研究院    宮下 和夫
 植物葉部にはグリセロ糖脂質(GL)を主成分とする脂質が10%程度含まれており,主な構成脂肪酸はα-リノレン酸(18:3n-3)となっている。α-リノレン酸は,代表的なオメガ3高度不飽和脂肪酸(PUFA)であり,様々な栄養機能が知られている。しかし,α-リノレン酸などのオメガ3PUFAは,分子構造的に酸素との反応性が高く,酸化劣化を受けやすい欠点がある。これに対して,GL中のα-リノレン酸は酸化されにくく,また,生体吸収性も高いことが明らかになった。さらに,オメガ3PUFAの酸化劣化に対する効果的な防止法も見出されている。植物葉部脂質には,オメガ3PUFA以外にもカロテノイドなどの機能性成分が含まれており,これらの脂質の機能性食品素材への利用が期待される。
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次世代の高齢者対応食品開発と中分子ペプチドによる腸−脳連関
京都大学大学院    大日向 耕作
 高齢化は世界的に進むことが予測されており「超高齢社会」に対応した農水産物や食品を開発し市場を創出・拡大することは,国内に加え世界戦略上も重要である。これまで,高齢者の嚥下・咀嚼機能低下に対応した介護食品が開発されてきたが,今後,高齢者の神経機能低下を改善する高機能な次世代食品の開発が期待される。今回,食品タンパク質の酵素消化物が食欲促進・意欲向上作用を示すことを発見した。酵素消化物中に含まれる,経口投与で医薬品に匹敵する強力な生理活性を示す新規ペプチドを特定し,さらに,消化吸収を前提としない腸−脳連関による新しい作用機構を明らかにした。現在,次世代の高齢者対応食品の素材として開発を進めている。
(キーワード:介護食,中分子ペプチド,脳腸相関,食欲促進,意欲向上)
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